10周年の歩み
会社設立から今日までの10年を、当時の裏話、エピソードも交えながら振り返りました。
2005年
8月 - 創業
- 1人間借りで肩身の狭いスタート
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創業時はオフィスもなく、ガイアックス社に間借りする形で古俣ひとりでスタートした。目の前に座っていた同社のエンジニアに入社を再三誘うも断られ続ける。
「だって、あの時の古俣さんは胡散臭かったんだもん」と現在PIXTAを支えるエンジニアリングのキーマンは振り返る(結局、4度目のご飯で入社)。
2006年
5月 - PIXTAリリース 写真素材販売開始
- 初心者HTMLでまさかのオープン
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写真投稿・販売サイト「PIXTA」がついに誕生!この時のサイトは代表・古俣がゴールデンウィークの間に覚えたHTMLとCSSで必死に作ったもの。
「エンジニアには向いてないなってこの時思った」とは後の古俣談。
2007年
6月 - イラスト素材販売開始
- ハムスター社員2名採用
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来年の干支モデルとしてハムスターを2名採用。
この年の稼ぎ頭として貢献するも、奔放な彼らは都度脱走。都度、社員総出で捜索することに。辛苦を共にした彼らには感謝が尽きない。享年2歳。
2008年
7月 - クリエイター数5,000人突破
- 給与半額ごめんね未遂事件
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リーマン・ショックの影響を受け、資金繰りに喘ぎ、最も苦しかった時期。
古俣はついに全社員に「来月までに資金調達できなかったら、みんなの給料を半分にすることになるかもしれない。申し訳ない」と宣言した。
しかし、この時、誰一人として退職した者はいない。翌月、無事資金調達にこぎつけた上に、売上も奇跡の安定を見せ始め、給与半分は未遂に終わった。
2009年
4月- ピクスタ株式会社に社名変更
- PIXTAに賭ける決意
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PIXTAの事業も軌道に乗り始め、PIXTAという事業に賭ける!という決意を込めて、「株式会社オンボード」から「ピクスタ株式会社」に社名を変えた。
某企業がサービス名を社名に変えたことに影響を受けたとも言う。
2010年
2月 - 動画素材販売開始
- スタークリエイター誕生へ!
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この年、PIXTAのオリジナル制度「人物専属クリエイター」が登場。
多数寄せられる「日本人コンテンツ」のニーズに応える人物専属クリエイターのおかげで、「日本人素材ならPIXTA」の地位の確立にも繋がった。また、同年、初の月間売上100万円を超えるスタークリエイターを輩出した。
2011年
9月- 事業展開加速のため増資
- 復興応援プログラム開始
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東日本大震災をきっかけに、PIXTAで素材の売上で得た獲得クレジットの一部を、東北の復興支援活動に対して寄付できる「復興応援プログラム」を開始。
クリエイターの皆様から「こうした取り組みを続けて欲しい」というご要望を頂き、継続的に自身の獲得した売上を任意で寄付できるように仕組み化した。
https://pixta.jp/donation
2012年
2月 - クリエイター数10万人突破
- PIXTA WAYの誕生
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ピクスタメンバーも大所帯になりつつあったこの頃、課題になったのが「価値観の共有」。
そこで、作ったのが共通認識となる10個の行動指針。「Win−Win−Win」「メンバー全員でピクスタをつくり育てる(通称:みんピク)」などは、以後ピクスタメンバーの象徴的な社内Wordとなった。
2013年
7月 - PIXTA英語版リリース
11月 - シンガポール子会社設立
12月 - PIXTA中国語版リリース
- 流行語素材にザワつく
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デジタル素材会社として身を呈して世のニーズに応えようと挑んだ流行語素材。
思いがけず話題となり、以後コスプレ社長と呼ばれる羽目になった原因のひとつ。恥を忍んで挑んだ女子高生姿は「なぜか可愛く見えてくるから不思議」と言われる始末。
https://pixta.jp/buzzword
2014年
4月 - 定額制販売開始
- 初の100名規模セミナー開催
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『写真で稼ごうハンドブック』の出版を記念して、初心者クリエイター向けとしては初の大規模セミナーを開催。
大規模過ぎて勝手が分からずスタッフは大混乱だったが大好評。新たな交流も生まれ、痛めた胃も報われた。
2015年
4月 - ロゴ変更
7月 - 台湾支店設立
- Creator Award開催
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初めて、全国のクリエイターを表彰するクリエイターアワードを開催!
各都道府県のNo.1の表彰や全国ベスト10クリエイターの発表し、全国のクリエイターとつながったのをきっかけに、PIXTA全国キャラバンと称したセミナー&撮影会行脚の旅もスタート。時同じくして素材点数1000万点突破した。